厳選記事

  • 闘うトップ2014年2月号

    多くの販売店と共存しながら帽子の素晴らしさを広く伝えたい(株式会社栗原・社長 栗原亮氏)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

感度の高い「街」がファッションをリードする

実は、何をしてもうまくいかなかったとき、店に立っていると、不思議そうな顔を向けて通り過ぎる方が多いことには気づいていたんです。「override」が何の店か、外観だけでは判断できなかったんですね。そのことに、「おでん」という文字を見て気づきました。屋台は、どれも同じような外観で、一見、何の店かわかりません。そこで、わざわざちょうちんに「ラーメン」とか「おでん」と書いてある。それはお客様への配慮です。私には、その配慮が欠けていました。経験不足を痛感しました。

ただ、私どものようにカジュアルな帽子を専門的に扱う店が、世間に広く認識されていなかったことも、原因の1つであったかもしれません。それまで帽子専門店と言えば、商店街にある家族経営のお店か、ご婦人向けの高級帽子店くらいでした。若者文化の最先端とされる場所への出店は、ほとんどなかったのではないでしょうか。ですから、「override」が「帽子屋」と認識されたとたん、おかげさまで、多くのお客様からご支持いただけたのだと思います。

90年代後半、ご承知のように、インターネットの普及によって、あらゆる業界で地殻変動が起こりました。それまで市場をリードしてきたメーカーが主導権を失ない、消費者が市場の動きを左右する時代に変わった。アパレル業界は、その動きが最も顕著な業界の1つだったと思います。

ところが、生意気な言い方ですが、私には栗原が変化に対応しようとしているようには見えませんでした。これまでどおり、メーカーの情報や業界内の動向が話題の中心で、お客様の嗜好(しこう)の変化とか最新の流行事情について、説得力のあるビビッドな情報が社内で共有されているとは思えなかったんです。早晩、行き詰まるのではないかと感じました。

ファッションをリードするのは、メーカーではなく「街」です。それも、感度の高い若者が集まる街なんです。そこから離れて、私どもの商売は成り立ちません。「override」の出店地として、いわゆる「裏原宿」を選んだのは、そういう考えからでした。

ですから、当初は多店舗展開を志向していたわけではありませんでした。小売を通じて得た最新の情報を、昔からお世話になっている取引先さんにフィードバックするためのアンテナショップ、という位置づけですね。語弊(ごへい)があるかもしれませんが、私は別にドラスチックな改革とか刷新をめざしたわけではありません。端的に言ってしまえば、栗原に貢献してくれた社員の雇用を守りたかっただけなんです。口幅(くちはば)ったい言い方ですが、それが私にできる恩返しだろうと思っていたんですね。



≪ 関連書籍 ≫

『実践 経営実学 大全』
(株)名南経営コンサルティング
関連書籍
  • 社員を幸せにしたい 社長の教科書
  • 言いわけばかりで動けない君に贈る33のエール
  • 「売らない」から売れる!どこにでも売っている商品を「ここにしかない」に変える5つの法則
  • ランチェスター戦略「小さなNo1」企業
  • 安部龍太郎「英雄」を歩く
このページのトップへ