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  • 闘うトップ2014年2月号

    多くの販売店と共存しながら帽子の素晴らしさを広く伝えたい(株式会社栗原・社長 栗原亮氏)

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1967年、栗原社長は栗原裕会長の長男として兵庫県に生まれた。91年、青山学院大学を卒業。大手アパレルメーカーのワールドに入社し、法人営業部門に勤務した。94年、父の求めに応じて栗原に入社。2003年、4代目社長に就任した。

同社は、1922(大正11)年、栗原社長の祖父勝治郎氏が創業した帽子卸の栗原商店を前身とする。51年、法人化とともに、栗原社長の伯父弘氏が社長に就任。着実に業容を拡大するなか、76年、東京・青山に輸入帽子を中心とした専門店をオープンし、SPA事業の端緒としている。土地柄もあり、顧客には著名人も名を連ねたが、一定の役割を終えたとして21年後に閉店。だが、その経験は「override」の伏線となった。

また、同社は86年からOEM事業に進出。ライセンス契約を結んだメジャーリーグのベースボールキャップが若い世代から支持を得て、いわゆる「渋カジ」ブームを牽引することになる。91年、弘氏が会長に退き、弟の裕会長が3代目社長に就任した。

               ◇ ◇ ◇

もともと、家業を継ぐつもりはなかったんです。父も次男ですから、伯父の跡はその息子たちへの承継を考えていたらしいのですが、いずれも他社に就職してしまって、戻ってこなかったんですね。それで、父が継ぐことになり、その長男の私にお鉢が回ってきた。前職では「家業には戻らない」と約束していたので迷いましたが、結局、縁のようなものを感じて決断しました。祖父が亡くなったときの光景を思い出したんです。

祖父が亡くなったのは、私が高校3年生のときでした。そのお通夜の晩、私が1人で線香と燈明の番をすることになったんですね。親族のなかで、私だけ自由な時間があったからです。

祖父とは言え、遺体のそばで、たった1人で夜を明かすわけですから、正直、気味が悪かったのですが、そのうち慣れてきたのでしょうね。祖父のことをいろいろ思い出しているうち、初めて祖父と本音で語り合ったような気になりました。決して裕福ではないけれど、ひもじい思いもせずに暮らせるのは祖父のおかげだと、恥ずかしながら、そのときようやく思い至りました。

夜が明けると、社葬です。ずいぶん多くの方に足をお運びいただいたようで、500人くらいはいらっしゃったでしょうか。その行列を見て、私は考えをあらためました。祖父だけでなく、祖父がお世話になった方々にも感謝すべきだったんですね。



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