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  • トップの生き様2013年11月号

    葛藤と相克が人間力を養い、求心力を生む 先代を乗り越える社長の器(株式会社コバック・社長 小林憲司氏)

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後継者にとって様々な面で乗り越えなくてはならず、目標としても強く意識せざるを得ないのが、先代(多くは父親)の存在である。一方で時代の変化から過去のやり方が通用しなくなり、事業方針を巡って衝突するなど、両者は葛藤が生まれやすい構造にある。いまは先代から揺るぎない信頼を得て経営に邁進する社長が、先代との葛藤を克服するなかで、いかにして自らがなすべきことに気づき、どのような努力を重ねていったのか、成長の軌跡を振り返る。

【手記】すべてを受けとめればその親心に気づく
株式会社コバック 社長 小林憲司氏

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30歳のとき、誓約書を書いた。

「1年間、赤字が続いたら、丸坊主になって生涯、父の奴隷となる」

そんな文面のひと文字ひと文字に気持ちを込め、覚悟を示すつもりで拇印(ぼいん)を押した。もっとも、それを父に手渡すことなく机の抽出(ひきだし)にしまい込んだから、いったい誰に対する誓約だったろうか。父か神仏か、あるいは自分自身か、いまにして思えば、そのいずれでもあったような気もする。自分にけじめをつけるつもりだった。

そのころ、私は社運を賭けた勝負を心に決めていた。直営車検専門店を新規に出店する計画である。これは、おそらく業界で初めての試みだったと思う。というのは、当時、車検専門店はまだ世間にほとんど認知されていなかったからで、お客様にとって車検とは、自動車を購入した店か旧知の整備工場などに依頼するものだった。当然、新規に出店する車検専門店にそうしたお客様はいない。常識的に考えれば、無謀と言われてもしかたのない計画だった。

しかも、新規店がお客様を獲得できたとすれば、それは同業者の縄張りを荒らすことでもある。失敗は火を見るより明らかで、たとえ成功しても同業者の恨(うら)みを買わねばならない新規出店に、私は2億円を投じる計画であった。そのころの年商は4億円である。

想像はしていたが、社内の多くが反対した。なかでも、激しく反対したのが社長である父だった。父にすれば、創業以来、人生を賭けて育てた会社を危地に陥(おとしい)れる冒険は許せるはずもなく、業界の仁義に背(そむ)く点でも、専務だった私の言動は横暴と映ったに違いない。なんとしても見過ごすわけにはいかないという父の気迫が感じられた。

だが、私にも言い分はあった。最も大きな理由は、既存店がすでに能力の限界に近づいていたからである。おかげさまで、そのころ私どもの車検台数は、1日あたり最大で50台にも達していた。1日10台も手掛ければ奇跡的とされる業界で、工場の拡張でもしない限り、それ以上の車検は物理的に不可能だった。

そして、もう1つ、私には新規出店を実現しなければならない理由があった。詳(くわ)しくは後述するが、全国展開をめざすことで、社員と夢をわかち合う会社にしたかったのだ。FC加盟店による全国展開は緒(ちょ)についたばかりで、その成否を左右するだけに、私にとっては父が何と言おうと成功させなければならない乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負であった。

ところが、そのとき私は父に対する甘えに気づいたのである。連日、父とは激しく議論したが、互いに譲らず、父も私もしばしば高ぶる感情を抑えかねた。だが、そうした時間が過ぎ去って、ふと冷静さを取り戻したとき、「うまくいかなくても、親父がなんとかしてくれる」とうそぶく、かすかな心の声を聞いたのだ。父に対してさえ1歩も退かない自分を信じていただけに、私は慌(あわ)てた。そして、狼狽(ろうばい)する自分の姿から目を背けるように、自分を逃げ口のない場所へ追い込もうとした。誓約書を書いたのは、そういうしだいである。

1994(平成6)年暮れ、私は父の反対を強引に押し切って、直営2号店となる豊田若林店をオープンさせた。結果は連日の大盛況で、幸いなことに、私は丸坊主を免(まぬが)れた。



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