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  • トップの生き様2014年3月号

    永続・繁栄に導く意思決定とは 社運を分けるトップの決断(旭電機化成株式会社・社長 原直宏氏)

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社員に経営参画意識をもたせたり、衆知を集めることの重要性が叫ばれて久しいが、最終的な意思決定が、依然として経営トップに課せられた重大な仕事であるのは言うまでもない。会社の将来を左右しかねない判断の難しい課題であれば、なおさらである。
そうした際、トップはどのように決断すべきなのか。正しい結果を引き寄せる決断とは、どういった過程を経て下されるものなのか。
社内外の軋轢(あつれき)や内面の葛藤を振り切って断を下し、自社を存続・繁栄に導いたトップが、節目となったその意思決定を振り返る。

【手記】決断の質を高めるために会社は強くなければならない
旭電機化成株式会社 社長 原直宏氏

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いまから40年ほど前、私は経営者として初めて重大な決断を迫られていた。急激に悪化した業績への対処策である。しかし、当時の私には人員を削減し、工場を閉鎖して売却する以外に手立てはなかった。

他に選択肢がない以上、速(すみ)やかに着手して、実務を淡々(たんたん)と進めるしかない。躊躇(ちゅうちょ)していられる余裕はなく、正直なところ、私は葛藤(かっとう)に悩まされることもほとんどなかった。会社を継いだばかりの私には、大切な仲間を失うことの意味が理解できなかったのである。

私は、ほぼ2年間をかけて6工場のうち4つを売却し、250名近かった従業員を50名に削減した。大幅に事業を縮小したことで、会社はどうにか当面の危機を乗り切った。だが、私には社内外から容赦のない非難が浴びせられた。それは、突然、生計の道を断たれた人たちの怨嗟(えんさ)の声だった。

大学在学中父の急逝で社長を継ぐ

私どもは、1933(昭和8)年創業の旭ライト製作所を前身としている。創業者は私の祖父で、合成樹脂によるラジオ通信機器部品を製造していた。戦争による混乱を経て、50(昭和25)年、祖父の跡を継いだ父が現在の社名で法人化を果たすと、プラスチックの一種であるフェノール樹脂の成形加工技術で光熱器具部品などを製造した。黒い樹脂でできた鍋の取っ手部分を想像していただければ、わかりやすいと思う。

決して付加価値の高い仕事ではなかったから、父は生産効率を向上させるべく規模の拡大に力を尽くした。だが、73(昭和48)年初春、変動相場制への移行により円高が急激に進み、同年秋の第一次オイルショックで日本経済が消費不況に陥ると、それまでの拡大策は裏目に転じる。仕事の多くが海外へ流出し、取引先の業績も悪化した。父が急逝したのは、そうした時期のことだった。

持病の高血圧はずいぶん前から思わしくなかったようで、父も万一の事態を覚悟していた節(ふし)がある。その数年前、高校3年生だった私は父に連れられ、主治医を訪れたことがあった。主治医は具体的な数値を挙げて、私に父の健康が危ういものであると告げた。

「お父さんの血管は、いつ破れてもおかしくない。長男であるきみは、明日にでも会社を継ぐつもりで準備しておいたほうがいい」

だが、父はまだ若く、息子の私が見ても堂々と頼もしそうな様子は、いかにも経営者らしかった。その姿に甘えていた私は、主治医の警告をよそに、大学に進学すると海外への夢を膨(ふく)らませ、放浪の旅に出た。主治医の指摘が現実のものになったのは、その間のことで、慌(あわ)てた私は予定を切り上げて帰国したが、それから2か月後の74年秋、父は48歳で亡くなった。

相続人が後継しなければ融資の継続は難しいという銀行の意向もあり、私は学生の身で会社を継いだ。毎朝、大学に通い、講義が終わるとトラックで取引先へ納品に向かう。そして、夜は会社に顔を出し、事務処理などに忙殺された。そうしたなか、私は経営が想像以上に厳しい状況に追い込まれていたことを知った。その年、私どもの売上の上位を占めていた2社が倒産し、翌年、さらに2社が潰れている。仕事が激減して一部の工場は事実上、操業を停止し、年商は前年の14億円から6億円に落ち込んだ。借入金は4億円、設備支払手形も2億5,000万円に達していた。

あらためて振り返っても、そのときの私は何より赤字を食い止めるべきだったと思う。血を流しながら戦い続けられるほど、私どもは強靱(きょうじん)な体力を持ち合わせていない。年商に見合う規模まで事業を縮小しなければ、早晩、倒れるのは目に見えていた。そうした意味で、人員の削減と工場の売却はやむを得ない決断だったと信じている。

だが、たとえ避けられない決断だったとしても、それにより私が重い十字架を背負ったことは確かだった。肺腑(はいふ)をえぐられるような批判を耳にしながら、私はそのとき心に誓った。二度と人員削減はしない、と。それは、会社の将来を気にかけながら旅立たねばならなかった父への誓いでもあった。



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