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    町工場であり続け、次世代に職人の技を伝えたい(ダイヤ精機株式会社・社長 諏訪貴子氏)

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東京オリンピックが開催された1964年、ダイヤ精機は諏訪社長の父保雄(やすお)氏によって創業された。間もなく、精密なゲージを生み出す技術力が、高い評価を獲得。設計・提案から材料調達、検査まで、一貫加工ができることも強みに、精密金属加工メーカーとして着実に地歩を固めた。
リストラを提案し自分がリストラされる保雄氏は一男二女に恵まれたが、長男は惜しくも6歳で早世。その後に生まれた次女の諏訪社長は、保雄氏がひそかに期待する後継候補だったが、諏訪社長自身にその意思はなかったという。
諏訪社長は、95年、成蹊大学工学部を卒業し、大手自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現日立オートモティブシステムズ)に入社。エンジニアとして勤務した。97年、出産を機に退職したが、翌年、保雄氏の要請でダイヤ精機に入社。総務を担当し、当時、バブル崩壊後の不況で低迷していた業績を建て直すため、リストラを含む不採算部門の縮小を保雄氏に進言した。ところが、保雄氏は「ならば、おまえが辞めろ」とその提案を一蹴。諏訪社長は、わずか半年で退職した。
2年後、諏訪社長は再び保雄氏に請われて入社するが、またもや同じ光景が繰り返された。こんどは、再入社から3か月後の退職だった。
2004年、他社に勤務する夫のアメリカ転勤が決定。就学年齢を迎えた長男とともに移住することになったが、渡米寸前の春、前年に肺がんを克服したはずの保雄氏にがんが再発。間もなく、保雄氏は64歳で急逝した。
母も姉も専業主婦で、夫にとってアメリカ勤務は長年の夢だった。短期間とはいえ、ダイヤ精機での勤務経験をもつ諏訪社長以外に現実的な後継者は見当たらず、従業員や協力会社から諏訪社長を後継に推す声が上がった。悩み抜いた末、諏訪社長の2代目社長就任と夫の単身赴任が決まった。



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